2016年11月02日

「高岡御車山」考(-1)-ミステリアスな祭

 ユネスコの無形文化遺産に登録されそうなので、
 良い機会だから、高岡御車山(たかおかみくるまやま)についての
 私からの問題提起をしておきたい。    

 

 高岡御車山祭は、ミステリアスだ!
  私のおおまかなテーマとして、
  高岡御車山祭を、定説や常識に流されずに、歴史的かつ民俗学的な
 新しい解釈で追及してみたいと考えている。
  この曳山と祭礼は実は、謎=ミステリーだらけなのにもかかわらず、
 過去の研究者はほとんどそれらの謎を、避けて通っていたり、更には、
 現在に至るまで問題視すらされずに来た、という歴史がある。
  そこで私は、これに取り組もうとしている訳である。

  ではどんな謎=ミステリーがあるかを、思いつくまま列挙してみよう。
 1、そもそも、何のための祭りなのか?
    ・・・病災厄除とか豊穣祈願とは、私には見えない。
 2、春季祭礼だが、曳山の花傘がナゼ、「菊花」なのか?
    ・・・季節違いなので、本来は秋季祭礼だった可能性もある。
 3、御車山は、金沢や富山ではなくナゼ、高岡にのこったのか?
    ・・・町の規模、前田利長の軌跡を考え併せると、どこか不自然。
 4、定説通りに、前田利長から始まった祭礼なのか?
    ・・・嘗ての文部省の技官は、「浄土真宗以前」であるとしている。
 5、御車山を保有する「山町(やまちょう)」が、始原の地なのか?
    ・・・江戸時代には、「木町」が、始原と主張していた。
 6、二番町がナゼ、「宵祭」と「二枚車の曳山」で異彩を放つのか?
 7、関野神社の御神輿がナゼ、正午に極楽寺(博労町)に来るのか?
 8、高岡御車山はナゼ、①極楽寺(博労町)に詣でるのか?
 9、高岡御車山はナゼ、②下八町(しもはっちょう)を廻るのか?
                         エトセトラ~、エトセトラ。

  何はともあれ、こういった事柄の「謎解き」がなされない限りは、
 高岡御車山祭を理解することが出来ないだろうと思われる。
  ところがここに、飛んでもない難関が立ちはだかっているのである。
 それは、極楽寺、関野神社、高岡御車山の歴史に大きく関わっている
 「先宮(まずのみや)」の存在だ。これが仲々の曲者なのである。
 その正体は、鵺(ぬえ)の如く多羅尾伴内の如く、判然としない。
  尚、「先宮」に相対置するのが「高の宮」(関野神社の別称)であろう。

 
 
 
 
 
 

 私なりの「謎解き」となる第1章以下(~第10章)は、気が向いた時に。


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Posted by タルさん  at 16:16 │Comments(1)『山を観る』-高岡御車山

この記事へのコメント
せめてブログを新しく書いた場合は、フェイスブックで案内を出せば数多くの人が読んでくれると思います。僕もひさしぶりに思い出し立ち寄ってみて、あ、更新されてるんだと分かった次第です。
折角の郷土の貴重なお話ばかりですので、出来るだけ多くの人に読んでほしいと思います。御車山については、引き続きご想像を楽しみにしています。kt8x9k
Posted by 関屋和三郎 at 2016年11月11日 09:05
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