2020年04月20日
多分こうだったんじゃないか(?)劇場
2007.4.8 今宮神社(京都市)にて
「STAY HOME」歴はすでに15年になんなんとする「無職ジジ」
なので、家籠りには、もうすっかり慣れちゃって居るのです。
・・・なんぞといった軽口すら言いづらい、苛烈な現況にあります。
自分たちの状況から想像しますに、
アンネ・フランクたちの置かれていた環境は
我々よりも更に、数層倍も過酷なものだったんでしょうねぇ。
とはいえ、
ヒマ爺からも更に、徹底的に、仕事がほゞすべて奪われました。
4月中の仕事は本日(2020.4.20)〆切の『VITA』誌の原稿のみ。
ヒマなので、15日には仕上げてしまいましたがネ。
今回は現地調査なし、テレワークでの執筆。
現地を訪ねて書くことにしてましたので、しんどかった、です。
第78回・伝承を訪ねて、のタイトルは
「富山市が生んだ大才・高沢藤吉」としてみました。
6月に発行される予定です。
こんな中、
せめて郷土史や民俗学の知見に、疫病の蔓延に関するものや
疫神の調伏・退散に因むものが何かないものか?と考えていたら、
フト、十数年前に観に行って来た「やすらい祭」を思い出しました。
京都への、自腹の、取材旅行。
平成(どこか懐かしい響き!)19年=西暦2007のことです。
当時はまだ健在だった特急「サンダーバード」に、高岡駅で乗車。
・・・余り言いたくはありませんが、昔は良かったナァ~。
京都での行動予定(2007.4.8)は、
1、建勲神社 2、今宮神社 3、北野天満宮 4、御霊神社 でした。
テーマは「怨霊」と「御霊信仰」。(織田信長は、ま、序ででした。)
2007.4.8 建勲神社の桜
メインは勿論、今宮神社での「やすらい祭」です。
平安時代の後期、洛中に疫病や災害が蔓延。疫神の託宣により
今宮神社(紫野社)が創祀されたという。
社伝によると、桜の散り始める陰暦3月に疫病が流行したので、
花の霊を鎮め、無病息災を祈願したのが祭りの起こりという。
(Wikipedia)
説明が面倒ですので、当日(2007.4.8)の私のフォトアルバムで、
何とか流れを感じ取ってください。
と眺めて居りましたら、ここの「花傘」から
高岡御車山が見えて来てしまったのです。
ここからが、 「多分こうだったんじゃないか劇場」のはじまりです。
「やすらい祭」の「花傘」は、このようなものです。
これを、四つの要素に分けて眺めてみます。
すると、
①最上部の「花」と、これを挿している「花籠(けかご)」
≒高岡御車山の、(鉾留・)「花傘・髭籠(ひげこ)」、に相当
②布の「傘」と、「柄(え)」(=持ち手)
≒布傘の閉じた姿が「柱巻」、柄は「心柱」に相当
という風に変化している、と考えていいように思えてきました。
概ね、こんな感じです。
如何でしょうか?
もしかしたら、高岡御車山もルーツを辿れば、
疫病・厄災を祓うためのお祭りだった可能性が
あるのかも知れません。
尚、関連した内容の詳細は
2017/02/02 「高岡御車山」考(1)-花傘④・傘鉾1
2017/03/13 「高岡御車山」考(1)-花傘⑤・傘鉾2
を、乞うご参照。
本ブログのバックナンバーの記事一覧は
http://qqq.toyamaru.com/sitemap.html
をご照覧下さい。
「高岡御車山」考(3)-巡行①・曳順
「高岡御車山」考(2)-車輪④・二輪
「高岡御車山」考(2)-車輪③・仮説
「高岡御車山」考(番外)-築山①・放生津
「高岡御車山」考(2)-車輪②・記録
「高岡御車山」考(0)-③山町の夏祭り
「高岡御車山」考(2)-車輪④・二輪
「高岡御車山」考(2)-車輪③・仮説
「高岡御車山」考(番外)-築山①・放生津
「高岡御車山」考(2)-車輪②・記録
「高岡御車山」考(0)-③山町の夏祭り