2021年06月08日
遊部の常楽寺
2021.6.7 M医院
私、去る7日無事、2回目のワクチン接種を近所のM医院で
終えることが出来ました。全ての段取りは娘が整えてくれたの
でした。金沢に居ながらにして、高岡の病院に予約を入れる、
なんぞといった「神業(かみわざ)」が、今では可能なんですナァ~!
高岡人は「ファーストペンギン」になることが好きでないらしく、
予約開始初日の9:00am直後に、予約をゲットした、との連絡
が来ました。私にも最初に飛び込むファーストペンギンを忌避
したい気持ちはあったのですが、娘は私の最初の子でもあり、
思い入れも強うござんすので、否やはありませんでしたガネ。
7日の接種直後に報告したところ、「抗体が出っ来っまでに、
2週間かかっがやから、・・・」と、ドボドボの高岡弁で、まだまだ
気を抜くな、と釘を刺されてしまいました。
何はともあれ、先ずは「めでたし、めでたし」としときましょう。
ところで、去る2021.6月4日、福岡Uホールで講演会をして
来ました。タイトルは、『一向一揆と、勝興寺を知る』でした。
このうち、
「親鸞」(1173~1263)
「存覚」(1290~1373)
「綽如」(1350~1393)
「蓮如」(1415~1499)
「田屋河原の合戦」(1481.2.18)
の話が長くなり過ぎて、肝心の「勝興寺」の歴史の話は
駆け足状態になってしまいました。私としては、大失敗。
中でも「存覚」は、自分が殆ど理解していないまんまで、
講師としては知ったかぶりせねばならず、却って、熱が
入ってしまいました。聴講者に、というよりも、自分に納得
させたかったから、かも知れません。
さて、南砺市「福光」に、存覚が来ていた、とする伝承が
残されています。場所は、「遊部(あそぶ)」というところです。
この「遊部」という不思議な地名の由来については、別の
PPT.で紹介しています。
この地に、存覚が一時期住んでいたと伝える「常楽寺・址」
があるのです。
「南砺市郷土WiKi」の「福光町の伝説を訪ねて」より、
76話「仏道寺跡」に、概ね、こんなことが書かれています。
常楽台光玄(=存覚)が南朝方を求めて越中に来遊し、
石黒荘(≒福光地方)の「遊部」集落の、一本杉のある地点
に「常楽寺」を建立しました。
存覚の叔母さんが時宗(じしゅう)の仏土寺=吉江道場に
嫁いでいたこともあって、すぐそばの遊部の地に、常楽寺
を建てたものと思われます。
存覚は、越中の「水橋門徒」の名称を初めて記録したこと
でも、知られています。
水橋門徒に関する委細は、拙稿の
「浜街道、水橋に煌く「親鸞伝承」」
伝承を訪ねて38 『VITA』誌 2010.6
を、乞うご参照。
存覚が、福光へ来たという確実な史料は無いようです。
でも、後の綽如や如乗や蓮如の行動範囲から推察して、
越中に来ていても、おかしくはないと私は思っています。
と、まぁこんな事やなんぞを力説してて時間を喰った、
という訳でした。云々
まだ本格的な副反応には襲われていない酒爺、頓首
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