2019年06月24日

瑞龍寺のルーツを遡(たど)る (Ⅰ)

 ふるさと紀行(14) 「武生」-福井県

 瑞龍寺のルーツを遡(たど)る (Ⅰ)
                           2019.6.6 福井県立「恐竜博物館」にて

 去る(2019)6月6日、「(高岡市立)博物館に親しむ会」の催しで、
 福井県へ行ってきた。最主要目的地は、武生の宝円寺だった。
 なぜなら、この企画のタイトルを、
  走る博物館
     「瑞龍寺のルーツ-宝円寺-(たど)越前宝円
 としたからだ。
 以後、このシリーズは、
  ②宝円寺=七尾市、③加賀野田山宝円寺=金沢市
 と続け、④高岡宝円寺瑞龍寺で締めくくるつもりだった。
 が、
 私のわがままでタイトルを変更して、先月(2019)5月25日に
  歩く博物館ⅩⅩⅤ(=25)
     「瑞龍寺のルーツ-宝円寺-(たど)高岡宝円
                         -新高岡駅から、「庄方用水」を下(くだ)る-
 を先に実施してしまっていた。
 尚、元々付けていたタイトルは
     「新高岡駅から、「庄方用水」を下(くだ)る」
                              だったの
      
                                   2019.5.25 瑞龍寺にて  

 加以(しかのみならず)、せっかく福井県までも行くのだからと吝嗇家の
 私は、大好きな「恐竜博物館」と、一寸だけ好きな「永平寺」をも
 行程の中に紛れ込ませてしまった。立案者の特権!かなぁ?
 で、
 恐竜博物館での、冒頭の写真、となった訳ョ。・・・私、見える~?
 
  永平寺は、同寺に対しては やゝ不純(?)な動機で訪ねた。
 当寺の入り口の右脇にある「一葉観音」像が目当てであった。
 この像の作者が高岡の彫刻家・米 治一、なのである。それを
 当日の参加者には是非、お知らせしたかったし、実物を実見
 して頂きたかったのだった。
      
                                   2019.6.6 永平寺にて  
   米 治一の詳細については、本ブログの
      2018/05/12 米 治一の彫刻を鑑賞する -1
      2018/05/24 米 治一の彫刻を鑑賞する -2
                              を乞うご参照

 永平寺の前、ソースカツ丼とおろしそばで食事も済ませてて、
      
 愈々、武生(越前市)に向かった。

 1、太白山宝円寺 ・・・越前市高瀬1丁目
  ここが本来の目的地。少なくとも江戸時代には、この寺が
 高岡山瑞龍寺の本山であった。瑞龍寺の旧名も、宝円寺。
    
                                     2010.6.24
  当寺は、墓地が面白い。
  瑞龍寺の利長廟=越前式石廟の原型か、と思わせるお墓
 が、そこかしこに点在している。実にうっとりする光景である。
 
       
                               2019.6.6 武生「宝円寺」墓地にて

   
 2、越府城 ・・・越前市府中1丁目
  越前府中城は、前田利家の初めての居城。現・越前市役所。
  織田信長の軍勢が越前一向一揆と交戦したさいに焼亡した
 宝円寺から、大透圭徐が遣わされて、利家と再建の交渉をした。
 
       
                                                                                   2009.6.29
 大透が尾張出身であったことが功を奏し、同寺を利家の両親の
 菩提所として再建。
  以後、利家が領地を替える毎に、宝円寺が建立された(七尾・
 金沢)。利長も、同じようにして宝円寺を建立した(野田山・富山?
 ・高岡)。

 3、御霊神社 ・・・越前市本多1丁目 
  祭神は、早良親王(750?~785)。別称は崇道天皇。
 桓武天皇の同母弟。藤原種継暗殺事件に連座して、配流され、
 憤死。死後、疫病や災害が頻発したため、祟りと恐れられて、
 全国に御霊神社が祀られたという。
  天応元年(781)、大伴家持が、立太子した早良親王の春宮
 (=東宮)大夫となっている。
  

 4、摂取山引接寺 ・・・越前市京町
  武生の地へと来たならば、この寺に寄らない手はない。
 天台真盛宗(旧・天台宗真盛派)という珍しい宗派である。
  

 石川県金沢市の野町寺院群にも同宗派が、一ヶ寺あった。
  本山は滋賀県大津市坂本の西教寺。同寺は明智光秀に
 ゆかりのある寺として知られる。日吉大社の北。近いけど、
 かつて歩いたら、ひどく遠かった。 (・・・西教寺は、後日。)
  この宗派は、天台宗でありながら、浄土教の色が濃い。
 そこで思い起こされるのが、瑞龍寺にある利長廟の側壁に
 施されている、二十五菩薩像のレリーフである。
  前面両脇の不動・毘沙門と二十五菩薩とがすんなり同居
 できるのはこの宗派以外には、私は思い付かないのである。

  
                  2019.5.25 瑞龍寺で私論を講じる筆者の図

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Posted by タルさん  at 01:22 │Comments(0)ふるさと紀行

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